Wen Jiabao's speech before Japanese Diet
People, nation, state, country -- and confusion
By William Wetherall
First posted 18 August 2007
Last updated 20 August 2007
First Diet speech by a premier of China
On 12 April 2007, during a three day to Japan, China's Premier Wen Jiabao gave a speech before the Diet of Japan. While several foreign heads of states have given speeches in the Diet, this was the first by premier of China.
The speech ran over half an hour and covered the usual issues -- friendship, cooperation, the war, its legacy, modernization, Taiwan, economic growth, natural resources, international society.
As do most makers of such speeches, Wen referred many times to the two governments and peoples using a fairly limited number of phrases. The phrases increase in variety when comparing the Japanese and English versions with the Chinese text, and with each other.
Highlighted words and phrases
Comparing the three versions also betrays both the efforts and failures of translators to map the finer details of the Chinese text into Japanese and English. I have highlighted sets of some words and phrases to show how they become conflated or differentiated.
With few exceptions the Chinese text uses 人民 (rénmín) to refer to "the people" of both China and Japan, whereas the Japanese version generally uses 人民 (jinmin) for the people of China and 国民 (kokumin) for the people (nationals) of Japan.
Wen's racializations of the people of China and Japan as 中華民族 (C. Zhōnghuá mínzú, J. Chŭka minzoku) and 日本民族 (C. Rìbĕn mínzú, J. Nippon minzoku) are reflected in English as "the Chinese nation" and "the Japanese nation". The Japanese text inexplicably has one racialized reference to the people of China not grounded in the Chinese text or reflected in the English text.
Sources
The websites of the embassies of China in Japan and of Japan in China host the local language version as a matter of protocol -- which is why I took the Chinese version off the Japanese Embassy site, and the Chinese version off the Japanese embassy site. The English version is from China's Ministry of Foreign Affairs.
The received Japanese version has a "question mark" (?) separating three pairs of compounds. The marks are probably corruptions of a "mid-dot" (・), which functions like a "hypen" (-), but I have left them as found.
Wen Jiabao's speech before the Diet of Japan on 12 April 2007 | ||
Chinese text | Japanese version | English version |
日本国驻华大使馆 Embassy of Japan in China |
中華人民共和国駐日本国大使館 Embassy of the People's Republic of China in Japan |
中华人民共和国外交部 Ministry of Foreign Affairs of The People's Republic of China |
为了友谊与合作 在日本国国会的演讲 2007年4月12日 日本东京 尊敬的河野洋平议长阁下,尊敬的扇千景议长阁下,各位国会议员先生: 今天,我有机会到贵国国会演讲,同众参两院议员见面,感到很高兴。我向在座各位,向广大日本国民,致以亲切问候和良好祝愿!向长期以来为中日友好做出宝贵贡献的日本各界朋友,表示衷心感谢和崇高敬意! 这是我第二次到贵国访问。上一次是在15年前,也是在樱花盛开的四月。日本人民对中国人民的友好感情给我留下了深刻印象。这次我访问贵国,是想了解日本的最新发展情况,更想为中日关系的改善和发展尽一份力,做一份贡献。如果说安倍晋三首相去年10月对中国的访问是一次破冰之旅,那么我希望我的这次访问能成为一次融冰之旅。为友谊与合作而来,是我此次访日的目的,也是今天演讲的主题。 为了友谊与合作,需要继承和发扬中日友好源远流长的历史传统。在绵延2000多年的交往中,中华民族和日本民族相互学习、相互借鉴,促进了各自的发展和进步。 自秦汉以来,种稻、植桑、养蚕、纺织、冶炼等生产技术相继从中国传到日本,汉字、儒学、佛教、典章和艺术也为日本所吸纳与借鉴。日本先后十多次派出遣唐使,阿倍仲麻吕便是其中杰出的一位。他在中国生活了几十年,并担任唐朝的重要官吏,与王维、李白等著名诗人结为好友。鉴真和尚东渡日本,五次渡海失败,以至双目失明,但仍矢志不渝。他第六次东渡成功时已66岁高龄。鉴真和尚把他认为能济世渡人的佛法传到日本,实现了多年的夙愿,前后花了12年。他为发展中日两国人民的友谊献出了自己的一切。去年12月,河野洋平议长在中国文化节开幕式上说过:日本文化传统中散发着中国文化的浓郁馨香,表明日中之间有着割舍不断的因缘。我想说,中国文化传到日本,贵国的先人在保持日本传统文化的同时,又有了许多新的创造和发展。我还想说,明治维新后,日本经济社会快速发展,中国大批志士仁人来到日本,学习近代科学技术和民主进步思想,探求振兴中华之路,促进了中国的发展和进步。中国民主革命的先行者孙中山先生开展的革命活动,曾得到许多日本友人的支持与帮助。周恩来、鲁迅、郭沫若先生等先后在日本学习和生活,同日本人民结下了深厚情谊。 中日两国友好交往,历时之久、规模之大、影响之深,在世界文明发展史上是罕见的。这是我们共同拥有的历史传统和文明财富,值得倍加珍惜,代代相传,发扬光大。 为了友谊与合作,需要总结和记取不幸岁月的历史教训。众所周知,中日两国人民长达2000多年的友好交往,曾被近代50多年的那一段惨痛、不幸的历史所阻断。日本发动的侵华战争,使中国人民遭受了深重灾难,人员伤亡惨重,财产损失巨大,给中国人民心灵造成的创伤难以用语言来形容。那场战争也给日本人民带来了巨大苦难和创痛,对此上了年纪的人们至今记忆犹新。沉思历史,使我们更加深刻地体会到:中日和平友好,关乎两个国家的命运和人民的福祉。在一个国家、一个民族的历史发展进程中,无论是正面经验或是反面教训,都是宝贵财富。从自己的历史经验和教训中学习,会来得更直接、更深刻、更有效,这是一个民族具有深厚文化底蕴和对自己光明前途充满自信的表现。 中国老一辈领导人曾多次指出:那场侵略战争的责任,应该由极少数军国主义分子承担,广大日本人民也是战争受害者,中国人民要同日本人民友好相处。在战火纷飞的年代,聂荣臻元帅在战场上救助日本孤儿美穗子,亲自精心照料,并想方设法把她送回到亲人身边。1980年,美穗子携家人专程去中国看望聂帅。这个故事感动了许多人。战后,有2808 名日本孩子被遗弃在中国,成为孤儿。饱受战争创伤的中国人收留了他们,把他们从死亡线上拯救出来,并抚育成人。中日邦交正常后,中国政府为这些遗孤寻亲提供了极大的帮助。至今已有2513名日本遗孤返日定居。他们当中许多人回国后,自发成立了诸如“中国养父母谢恩会”等民间团体,并在中国捐建了养父母公墓和“感谢中国养父母碑”,其中一个碑文这样写道:“我们对中国养父母的人道精神和慈爱之心深深地感激,此恩永世不忘……”。 在这里,我还想提及一件事。中国北方的港口城市葫芦岛,曾是侵华日军运送石油的地方。就在几座残留的储油罐旁,矗立着一块石碑,记载了战争刚刚结束不久,在交通不便、物资极度匮乏的条件下,中国人民全力帮助105万日本侨民平安返回家园的历史一幕。当年从葫芦岛回国的一位日本女士,深情回顾了她的亲身感受。她说:“无论是200多个日本孩子在石头村寒冷的夜晚得到的救助,还是在遣返途中的沿路救济,无论是东宁老乡救命的干粮,还是葫芦岛酸甜美味的柑橘,都给我留下了深刻印象。善良、宽容的中国人让我们落魄的惊魂得以抚慰,也让我们最终登上了回家的轮船。”去年6月,贵国前首相村山富市先生在参加葫芦岛纪念活动时说:“大遣返真正体现了中华民族的宽宏大量和中国人民的人道主义精神。” 中国政府和人民历来坚持向前看,一贯主张以史为鉴、面向未来。强调以史为鉴,不是要延续仇恨,而是为了更好地开辟未来。中日邦交正常化以来,日本政府和日本领导人多次在历史问题上表明态度,公开承认侵略并对受害国表示深刻反省和道歉。对此,中国政府和人民给予积极评价。我们衷心希望,日方以实际行动体现有关表态和承诺。中日和则两利,斗则俱伤。实现两国人民世代友好,完全符合历史潮流和两国人民愿望,也是亚洲和国际社会的殷切期盼。 日本战后选择和平发展道路,成为世界上主要的经济大国和国际社会有重要影响的一员。作为贵国的友好邻邦,中国人民支持日本人民继续沿着这条和平发展道路走下去。 为了友谊与合作,需要正确把握中日关系的发展方向。今年恰逢中日邦交正常化35周年。经过中日双方的共同努力,中日关系取得了巨大发展。2006年,双边贸易额由邦交正常化时的11亿美元增加到2073亿美元,两国友好城市多达233对,人员往来超过480万人次。中日友好关系的发展,给两国人民带来了实实在在的利益。中国的改革开放和现代化建设,得到了日本政府和人民的支持与帮助,对此中国人民永远不会忘记。 在新的历史条件下,中日两国存在着日益增长的共同利益,面临着需要共同应对的重大课题。基于这样的客观事实,两国领导人就构筑战略互惠关系达成了共识。我们的目标,就是顺应潮流和民心,把中日关系推向新的历史阶段,实现和平共处、世代友好、互利合作、共同发展。为实现这一目标,需要把握以下原则: 第一,增进互信,履行承诺。中国古代先贤说:“与国人交,止于信”,“与朋友交,言而有信”。日本人也常说,“无信不立”。国与国之间的交往更应以诚信为本。《中日联合声明》等三个政治文件,从政治上、法律上和事实上总结了两国关系的过去,规划了两国关系的未来,是中日关系的基石。不管遇到什么情况,只要双方都严格遵循这三个政治文件所确定的各项原则,两国关系就能顺利向前发展。在这里我还想谈一下台湾问题,因为它事关中国国家的核心利益。我们将尽最大努力争取和平解决台湾问题,但决不容忍“台独”,坚决反对台湾当局推行“台湾法理独立”和其它任何形式的分裂活动。希望日方认识到台湾问题的高度敏感性,恪守承诺,慎重处理这一问题。 第二,顾全大局,求同存异。应该承认,中日两国在一些具体利益上和对某些问题的看法上存在分歧。但是,这些同我们的共同利益相比,毕竟处于次要地位。只要我们从战略高度、以长远眼光和对历史负责的态度,有诚意有信心,进行对话协商,双方之间存在的问题总是可以找到妥善解决的办法。对于东海问题,两国应本着搁置争议、共同开发的原则,积极推进磋商进程,在和平解决分歧上迈出实质步伐,使东海成为和平、友好、合作之海。 第三,平等互利,共同发展。中日两国经济互补性强,合作潜力大、前景广阔。经过多年努力和积累,两国经济相互依存度越来越高。中日经济合作是互利共赢的关系,两国经济的发展,对双方来说,都是机遇而不是威胁。昨天我同安倍首相会谈时,一致同意建立中日经济高层对话机制,把两国经济合作提升到更高水平。近期双方应在能源、环保、金融、高新科技、信息通讯和知识产权等领域加强合作。 第四,着眼未来,加强交流。经济合作与文化交流,是连接国家之间的两条重要纽带。如果说经济合作的目标是实现互利共赢,那么文化交流的目的是沟通心灵。两国领导人已一致同意,加强文化交流和人员往来。青少年是国家的未来和希望,也是中日友好的未来和希望。中方愿与日方一起,组织实施好两国青少年大规模交流计划,为两国人民的世代友好播下希望的种子。 第五,密切磋商,应对挑战。中日两国同为亚洲和世界的重要国家,中日关系的状况,对地区乃至全球都会产生重要影响。我们需要以这样的眼光,加强协调与合作,共同维护东北亚的和平与稳定,推进东亚区域合作进程,致力于亚洲的振兴。我们也需要以这样的眼光,共同应对全球性问题,包括能源安全、环境保护、气候变化、疾病防控以及反对恐怖主义、打击跨国犯罪、防止大规模杀伤性武器扩散等。中方理解日本拟在国际事务中发挥更大作用的愿望,愿意就包括联合国改革在内的重大国际和地区事务,同日方加强对话与沟通。 各位议员先生: 中国实行改革开放政策29年来,经济和社会发展取得了举世瞩目的成就。但是,中国人口多,底子薄,发展很不平衡,仍然是发展中国家,实现现代化还有很长的路要走。我们面临着两大任务,一是集中精力发展社会生产力,一是推进社会公平正义。要实现这两大任务,必须推进两大改革,一是以市场为取向的经济体制改革,一是以发展社会主义民主政治为目标的政治体制改革。中国在发展中存在资源、能源、环境等瓶颈制约,但经过多年努力,我们找到了一条发展的新路子,这就是树立和落实科学发展观,建设资源节约型、环境友好型社会,促进经济社会全面协调可持续发展。中国的发展主要靠自己。中国发展了,会对周边和整个世界的发展做出应有贡献。我们将坚持科学发展、和谐发展、和平发展,努力把中国建设成为富强民主文明和谐的现代化国家。中国历来有尚德不尚武、讲信修睦的优良传统。我可以负责任地告诉各位:中国高举和平、发展、合作的旗帜,坚持走和平发展道路,推动建设和谐世界的决心,永远不会改变! 各位议员先生: 在扬州大明寺鉴真纪念堂,有一座石灯笼,是1980年日本唐招提寺森本孝顺长老亲自送来、亲自点燃的。这盏灯与日本唐招提寺的另一盏是一对。这对灯火至今仍在燃烧,长明不灭,遥相辉映,象征着;中日两国人民世代友好的光明前景。贵国有句谚语:“尽管风在呼啸,山却不会移动”。中日两国关系的发展,尽管经历过风雨和曲折,但中日两国人民友好的根基,如同泰山和富士山一样不可动摇。开辟中日关系的美好未来,要靠;两国政府和两国人民的不懈努力。让我们携起手来,为实现中日世代友好,为开创中日战略互惠关系的新局面,为亚洲及世界的和平与发展而共同奋斗! 谢谢大家! |
友情と協力のために 日本国国会における温家宝総理の演説 二〇〇七年四月十二日 日本東京にて 尊敬する河野洋平議長閣下 尊敬する扇千景議長閣下 国会議員の諸先生方 本日は、貴国の国会において演説をさせて頂き、衆参両院の議員の諸先生方とお会いする機会を得ましたことを大変うれしく思います。まずはご在席の先生方をはじめ、日本国民の皆さまに対し、心から祝福を申し上げ、長期にわたって中日友好のために貴重な貢献をしてこられた日本各界の友人の皆さまに対し、心から感謝を申し上げますとともに、崇高なる敬意を表します。 今回は私の貴国に対する二回目の訪問であります。前回は15年前、同じく桜満開の四月でした。中国人民に対する日本国民の友好的な感情が深く印象に残りました。この度の貴国訪問は、日本の最新の発展ぶりを見るためであり、さらには、中日関係の改善と発展のために力を尽くし、貢献したいためであります。昨年10月の安倍総理大臣の中国訪問は氷を割る旅であったと言うならば、私の今回の訪問は氷を融かす旅となるよう願っております。私は友情と協力のために貴国にきました。これが正に私のこの度の日本訪問の目的であり、本日の演説のテーマでもあります。 友情と協力のために、長い中日友好の歴史の伝統を受け継ぎ、発揚する必要があります。二千年余りにわたる往来の中で、中華民族と日本民族は学び合い、お互いの経験を参考にして、それぞれ発展し進歩してきました。 秦と漢の時代から、稲作、桑植、養蚕、紡績、製錬などの生産技術が相継いで中国から日本に伝わり、漢字、儒学、仏教、律令制度と芸術なども日本に吸収され、参考にされました。日本は十数回にわたって遣唐使を派遣しました。阿倍仲麻呂はその中のすぐれた代表者の一人です。阿倍仲麻呂は中国で数十年間暮らし、唐王朝の要職につき、王維、李白など著名な詩人たちと親交を深めました。鑑真和上は日本へ渡航するため、五回も失敗したすえ、両眼が失明しました。それでも、和上は志を変えることはありませんでした。六回目に渡航を成し遂げたときはすでに66歳の高齢になりました。鑑真和上は衆生済度(しゅじょうさいど)の仏法を日本に伝え、長年の宿願を果たすために、通算12年間もの歳月を費やしました。鑑真和上は中日両国人民の友情を増進するために自分のすべてを捧げられました。昨年の12月、河野洋平議長は中国文化祭の開幕式において、「日本文化の伝統に中国文化の香りが漂っていることは、日中の間に切っても切れない縁があることの表れである」とおっしゃいました。わたしが申し上げたいのは、中国の文化が日本に伝わって、貴国の先人達が日本の伝統的文化を保ちつつも新たに創造を加え、大いに発展をさせました。そして、明治維新以降、日本の経済社会が急速に発展を遂げた時に、中国から大勢の青年が日本に来て、近代的な科学技術と民主的な思想を学び、中華民族を振興させる道を模索し、中国の発展と進歩を促進しました。中国民主主義革命の先駆者である孫文先生の革命活動は、多くの日本の友人から支持と支援を受けました。周恩来先生、魯迅先生、郭沫若先生等の先達も日本で留学生活を送り、日本国民と深い友情を結びました。 中日両国の友好往来は、その時間の長さ、規模の大きさと影響の深さは、世界文明発展の歴史に類を見ないものであると言えましょう。これはわれわれが共有している歴史の伝統と文明の財産であり、いっそう大切にし、子々孫々にわたって伝え、大いに発揚するに値するものであります。 友情と協力のために、不幸な歳月の歴史的教訓を総括し銘記する必要があります。周知のように、中日両国人民の二千年以上にわたる友好往来は、近代において50年余りの痛ましい不幸な歴史によって断たれたことがあります。当時の日本が発動した中国侵略戦争によって、中国人民は重大な災難に見舞われ、おびただしい死傷者を出し、多大な損害を被り、中国人民の心に言葉では言い表せないほどの傷と苦痛を残しました。また、あの戦争は日本国民にも莫大な苦難と痛みを与えたことは、年配の方々には今なお記憶に新しいでしょう。歴史を考えるとき、われわれは次のような示唆を得ることができます。中日両国の平和と友好は両国の運命と国民の幸福にかかわるものであります。一つの国家、一つの民族にとって、歴史の発展のプロセスにおいて、プラスの経験も、マイナスの教訓も、いずれも貴重な財産であります。自らの歴史の経験と教訓から学ぶほうが、より直接に、より深く、より効果的にそれを得ることができます。これは一つの民族が奥深い文化的伝統を有し、自国の明るい将来に自信に満ちている表れです。 中国の古い世代の指導者がかつて度重ねて指摘したように、あの侵略戦争の責任は、極少数の軍国主義者が負うべきであり、一般の日本国民も戦争の被害者であり、中国人民は日本国民と仲良く付き合わなければなりません。戦火が飛び散っていたなかで、聶栄臻元帥は戦場で日本人の孤児美穂子さんを救助し、自ら世話をし、そして手を尽くして彼女を家族の元に送りました。1980年、美穂子さんは家族とともに中国へ行って聶栄臻元帥を訪ねました。この話に多くの人々が心を打たれました。戦後、2808人の日本人の子供たちが中国に置き去りにされ、残留孤児となりました。戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人が彼らを引き取って、彼らを死の危機から救い出し、育てあげました。中日国交正常化の後、中国政府は孤児たちの肉親探しに大きな支援を与えました。現在までにすでに2513人の日本人孤児が日本に戻りました。彼らの多くは帰国後に、「中国養父母謝恩会」などのような民間団体を自発的に設立し、中国で養父母達の共同墓地と「中国養父母感謝の碑」を寄付?建立(こんりゅう)しました。その中に次のような碑文が書かれています。「中国養父母の人道的精神と慈愛心に深く感謝し、ご恩を永遠に忘れません……」と。 ここに、私はもう一つの事に触れたいと思います。中国北部の港町コロ島は、かつて中国を侵略した日本軍の石油運送地でした。昔の石油貯蔵タンクの傍らに聳え立つ石碑に、戦争が終わって間もない頃、交通が不便で物資が極度に乏しかった状況の下で、中国人民が全力を尽くして残留日本人105万人を無事に帰国の途につかせた歴史的な一齣が記されています。当時コロ島から帰国したある日本人女性は、感情を込めて自ら経験したことを次ぎのように振り返っています。「200人あまりの日本人少年が石頭村の寒い夜に助けられ、また引き上げ途中でいろいろと救済されたことは勿論、東寧県の農民に救命の食べ物とコロ島で手に入れたただ一個の甘酸っぱいミカンも、私に深い印象が残り、今でも生々しくて忘れられません。これは善良、寛容な中国人が私たちの落胆した心を慰め、おかげさまでとうとう帰国の船に乗りました。」去年の6月、貴国の村山富市元首相はコロ島で行われた記念イベントに出席した際に、「大送還は、まさに中華民族の大きな度量と中国人民の人道主義精神の表れである。」と言われました。 中国政府と人民は従来から未来志向を堅持し、一貫して歴史を鑑として、未来に向かうことを主張しています。歴史を鑑とすることを強調するのは、恨みを抱え続けるのではなく、歴史の教訓を銘記して、よりよい未来を切り開いていくためであります。中日国交正常化以来、日本政府と日本の指導者は何回も歴史問題について態度を表明し、侵略を公に認め、そして被害国に対して深い反省とお詫びを表明しました。これを、中国政府と人民は積極的に評価しています。日本側が態度の表明と約束を実際の行動で示されることを心から希望しています。中日両国は和すれば双方に利益をもたらし、争いあえば倶に傷つきます。両国人民の子々孫々にわたる友好を実現することは、歴史の流れと両国人民の願いに完全に合致し、アジアと国際社会の切実な期待でもあります。 日本は戦後平和発展の道を選び、世界の主要な経済大国と重要な影響力を持つ国際社会の一員となりました。貴国の友好隣国として、中国人民は日本人民が引き続きこの平和発展の道を歩んでいくことを支持します。 友情と協力のために、中日関係の発展の方向を正しく把握する必要があります。今年は中日国交正常化35周年にあたります。中日双方の共同の努力を経て、中日関係は大きな発展を遂げてきました。2006年、両国の貿易額は国交正常化当時の11 億ドルから2073億ドルに増え、友好姉妹都市は233組に達し、人的往来は480万人を超えました。中日友好関係の発展は、両国人民に確実な利益をもたらしました。中国の改革開放と近代化建設は日本政府と国民から支持と支援を頂きました。これを中国人民はいつまでも忘れません。 新しい歴史的条件の下で、中日両国は日増しに増えつつある共通利益を有し、ともに対応すべき重要な課題に直面しています。このような客観的な事実に基づいて、両国の指導者は戦略的互恵関係の構築について合意しました。われわれの目標は、時代の流れと民意に従って、中日関係を新たな歴史的段階に推し進め、平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展を実現することであります。この目標を実現するために、以下の原則を把握する必要があります。 第一は、相互信頼を増進し、約束を履行することです。中国古代の先賢は、「国人と交わりては、信に止まれり」(国や人との付き合いは、信用を守ることが大事である)「朋友と交わりて、言ひて信あり」(友達との付き合いは、有言実行が大事である)と言われました。日本の方々もよく「信無くば立たず」を口にします。国と国との往来は尚更誠実と信義を本とすべきです。「中日共同声明」など三つの政治的文書は、政治、法律そして事実の面から両国関係の過去を総括し、両国関係の未来を計画したものであり、中日関係の礎であります。いかなる状況におかれようと、双方がこの三つの政治的文書に定められた諸原則を厳守しさえすれば、両国関係は順調に前進することができます。台湾問題は中国の核心的利益にかかわるものですので、少し触れたいと思います。私達は台湾問題の平和的解決をめざして最大限の努力を尽くしてまいります。しかし、「台湾独立」を絶対に容認しません。台湾当局による「台湾の法的独立」及び他のいかなる形の分裂活動にも断固として反対します。日本側には台湾問題の高度な敏感性を認識し、約束を厳守し、この問題に慎重に対処するよう希望します。 第二は、大局を念頭に置いて、小異を残し大同につくことです。中日両国の間には一部の具体的な利益と一部の問題に関する見解に意見の相違があることは認めなければなりません。しかし、双方の共通利益と比べれば、これは到底副次的なものであります。われわれは戦略的大所高所から、長期的視点に立って、そして歴史に対し責任ある態度で、誠意と自信を持って、対話と協議を行いさえすれば、双方の間に横たわる問題を適切に解決する方法を必ず見出すことができます。東海の問題については、両国は係争を棚上げし、共同開発する原則に則って、協議のプロセスを積極的に推進し、相違点の平和的解決のため実質的なステップを踏み出して、東海を平和・友好・協力の海にすべきです。 第三は、平等互恵、共同発展を目指すことです。中日両国の経済は強い相互補完関係にあり、協力の潜在力が大きく、その将来性も広々としたものです。長年の努力と積み重ねを経て、両国経済の相互依存度はますます高まりつつあります。中日両国の経済面での協力は互恵とウィンウィンの関係にあり、両国経済の発展は、双方のいずれにとっても脅威ではなくチャンスです。昨日私と安倍総理大臣は会談において、中日ハイレベル経済対話メカニズムを設立し、両国の経済面での協力をより高いレベルへ引き上げていくことで一致しました。双方は当面の間、まず、エネルギー、環境保護、金融、ハイテク、情報通信、知的財産権などの分野において協力を強化すべきです。 第四は、未来に目を向け、交流を強化することです。経済面での協力と文化交流は、国と国とを結ぶ二本の重要な絆です。経済面での協力の目標は互恵とウィンウィンの実現にあると言うならば、文化交流の目的は心と心とをつなぐことにあると言えましょう。両国の指導者はすでに、文化交流と人的往来を強化することで意見の一致を見ました。青少年は国家の未来と希望であり、中日友好の未来と希望でもあります。中国側は日本側とともに、両国青少年の大規模な交流プログラムを企画?実施し、両国人民の子々孫々にわたる友好のために希望の種をまきたいと思います。 第五は、協議を密切にし、挑戦に立ち向かうことです。中日両国はいずれもアジアと世界における重要な国です。中日関係のあり方は、地域ひいては全世界に重要な影響を及ぼします。われわれはこのような視点に立って、協調と協力を強化し、ともに北東アジアの平和と安定を維持し、東アジアの地域協力のプロセスを推進して、アジアの振興に取り組む必要があります。また、同じ視点に立って、エネルギーの安全、環境保護、気候変動、疾病の予防と抑制及びテロ対策、多国間犯罪の取り締まり、大量破壊兵器の拡散防止など地球規模の問題にともに対応していく必要があります。中国側は、日本が国際社会においてより大きな役割を果たしたい願望を理解し、国連改革を含む重要な国際問題と地域問題について、日本側と対話と意思疎通を強化する用意があります。 議員の諸先生方、 中国は改革開放を実行して29年来、経済・社会の発展の面で世界に注目される成果をあげてきました。しかし、中国は人口が多く、基盤が弱く、発展にはアンバランスの状況が存在し、依然として発展途上国であり、近代化を実現するにはまだ長い道のりがあります。われわれは二つの任務に直面しております。一つは、社会生産力の発展に専念すること、もう一つは、社会の公平と正義を推進することです。この二つの任務を達成するには、二つの改革を推進しなければなりません。一つは、市場経済を志向する経済体制改革、もう一つは、社会主義民主政治の発展を目標とする政治体制改革です。中国の発展には資源、エネルギー、環境などのボトルネックの制約がありますが、長年の努力を経て、われわれは発展のための新しい道を見い出しました。即ち科学的発展観を確立?実行し、資源節約型、環境にやさしい社会を建設し、経済と社会の全面的かつ調和の取れた、持続可能な発展を促進することです。中国の発展は主として自力に頼ります。中国が発展すれば、周辺と世界全体の発展にしかるべき貢献をすることができます。われわれは科学的な発展、調和のとれた発展、平和的な発展を堅持し、中国を富強、民主、文明、調和の取れた近代化国家に築きあげるために努力してまいります。中国は昔から徳を重んじ武力を重んぜず、信を講じ、睦を修めるというすぐれた伝統があります。私は責任を持って皆さまに申し上げます。中国は平和・発展・協力の旗印を高く掲げ、平和発展の道を堅持し、調和のとれた世界の構築を推進していく決意は、永遠に変わりません。 議員の諸先生方、 揚州大明寺の鑑真記念堂に一つの石灯篭があります。これは、1980年に日本の唐招提寺の森本孝順長老が自ら送り届け、自ら燃したものです。この石灯篭は日本の唐招提寺にあるもう一つの石灯篭と一組となっています。この一組の灯篭は今なお消えることなく燃え続け、はるか遠くから互いに照り映え、中日両国人民の子々孫々にわたる友好の明るい将来を象徴しています。貴国には「風は吹けども、山は動かず」という諺があります。中日両国関係の発展は、風雨や紆余曲折をたどってきましたが、中日両国人民の友好の土台は泰山と富士山のように決して動揺することはありません。中日関係の美しい未来を切り開くために、両国政府と両国人民はたゆまぬ努力をしていく必要があります。われわれは手を携えて、中日両国の子々孫々にわたる友好を実現するために、中日両国の戦略的互恵関係の新たな局面を切り開くために、アジア及び世界の平和と発展のためにともに奮闘努力していこうではありませんか。 ご清聴ありがとうございました。 |
For Friendship and Cooperation Speech by Premier Wen Jiabao of the State Council of the People's Republic of China at the Japanese Diet Tokyo, Japan, 12 April 2007 Respected Mr. Yohei Kono, Speaker of the House of Representatives, It gives me great pleasure today to address the Japanese Diet and meet with you, members of the House of Representatives and the House of Councilors. I would like to extend my cordial greetings and best wishes to you and to the Japanese people. In particular, I wish to express my heartfelt thanks and pay high tribute to the Japanese friends in various sectors for the longstanding and valuable contribution they have made to China-Japan friendship. This is my second visit to Japan. I paid my first visit to Japan 15 years ago. It was also in April when cherries were in full bloom. The goodwill of the Japanese people toward the Chinese people left a deep impression on me. Now, I am visiting Japan to learn more about the new progress Japan has made and, more importantly, contribute my share to improving and growing China's relations with Japan. If Prime Minister Shinzo Abe's visit to China last October can be described as an ice-breaking trip, I hope my visit this time will be an ice-melting journey. I have come for friendship and cooperation. This is the purpose of my visit, and it is also the theme of my speech today. To advance friendship and cooperation, we need to inherit and carry forward the historical tradition of the longstanding China-Japan friendship. In the course of over 2,000 years of interactions, the Chinese nation and the Japanese nation have promoted their respective development and progress by drawing on each other's strengths. Beginning with the Qin and Han dynasties, Chinese technologies like rice growing, mulberry growing, silkworm rearing, textile making and smelting were introduced to Japan, so was Chinese culture, including Chinese characters, Confucianism, Buddhism, and Chinese decrees and institutions and art. Japan sent envoys to China on over ten occasions during the Tang dynasty. Abe no Nakamaro, one of them, lived in China for several decades. He became a senior government official and made friends with famous poets Wang Wei and Li Bai. Jianzhen, a Chinese monk, tried five times on sailing trips to Japan but failed. He went blind as a result. But Jianzhen did not give up. His sixth journey was a success. That was when he was 66 years old and it took him 12 years to realize his lifelong dream. Monk Jianzhen brought to Japan Buddhist teachings that he believed would save the world and the people. He dedicated himself to fostering the Chinese people's friendship with the Japanese people. Mr. Yohei Kono, Speaker of the House of Representatives of Japan, said during the opening ceremony of the Chinese Culture Festival last December that the Japan's cultural tradition is imbued with the splendor of the Chinese culture, and that this shows the inseparable ties between Japan and China. As the Chinese culture was introduced to Japan, the Japanese people made many innovations while maintaining the traditional Japanese culture. After the Meiji Restoration, Japan experienced rapid economic and social development. A large number of Chinese students came to Japan to study modern science and technology and democratic and progressive thoughts in search of a way to revitalize China. This promoted China's development and progress. Dr. Sun Yat-sen, pioneer of China's democratic revolution, received support and assistance from many Japanese friends in carrying out revolutionary activities. Zhou Enlai, Lu Xun and Guo Moruo studied in Japan and forged close friendship with the Japanese people. The length, scale and influence of China-Japan friendly exchanges are rarely seen in the course of world civilization. These exchanges are our shared historical and cultural heritage which we should hold in great value, enrich and pass on from generation to generation. To consolidate our friendship and cooperation, we need to draw lessons from the unfortunate days of the past. As we all know, the over 2,000 years of friendly contacts between the Chinese and Japanese peoples were once interrupted by a traumatic and unfortunate period of over 50 years in modern times. The war of aggression against China launched by Japan inflicted untold sufferings on the Chinese people, causing tremendous loss of life and property. The trauma it caused to the Chinese people was beyond description. This war was also a devastating and painful experience to the Japanese people, and it is still fresh in the memory of the elderly people. As we review the past, we are keenly aware that peace and friendship between China and Japan are vital for our countries and the well-being of our peoples. What a country or a nation has learned in the course of its development, whether in a positive way or negative way, is an invaluable asset. What we have learned from our own historical experiences and lessons is something we have learned which is far more direct, profound and effective. If a nation with great cultural tradition can learn from its past, it shows that it is full of confidence in its future. The older generation of Chinese leaders stated on many occasions that it was a handful of militarists who were responsible for that war of aggression. The Japanese people were also victims of the war, and the Chinese people should live in friendship with them. During the war, Marshal Nie Rongzhen rescued a Japanese orphan named Mihoko from the battlefield. He took good care of her and managed to send her back to her family. In 1980, Mihoko went on a special tour to China with her family to visit Marshal Nie. This story moved many people. After the war, 2,808 Japanese children were left behind in China and became orphans. The Chinese people, despite their own sufferings caused by the war, saved the lives of these orphans and brought them up. Since the normalization of China-Japan diplomatic relations, the Chinese Government has made great efforts to help these orphans to be united with their family members. Now 2,513 of them have returned to Japan. Many of them founded the "Association for Thanking Chinese Foster Parents" and other groups. They donated funds and built cemeteries for their foster parents and erected monuments in China to express their gratitude to their foster parents. One of the monuments reads: "We express our deep gratitude to our foster parents for their care and love. They will live forever in our hearts." I also wish to tell you something else. In the port city of Huludao in Northern China, which was used to ship oil for the Japanese troops during the war of aggression, a stele stands beside several old oil tanks left from the war. The stele keeps record of the efforts made by the Chinese people, shortly after the end of the war, to overcome difficulties of poor transportation and scarce resources to repatriate 1.05 million Japanese nationals safely to Japan. A Japanese woman who returned home from Huludao gave a passionate account of her own experience. She said: "Over 200 Japanese children received care and help at cold nights in Shitou Village. We were given help on our way to Huludao. The food given to us by local people in Dongning helped us survive. And in Huludao we had delicious oranges. All this is unforgettable to me. We were so scared, but the kind and forgiving Chinese people calmed us down and helped us eventually embark on the steamboat heading home." Former Japanese Prime Minister Tomiichi Murayama said last June when attending the commemorative activities in Huludao: "The repatriation is a true testament to the magnanimity of the Chinese nation and the humanitarian spirit of the Chinese people." We, the Chinese Government and people, have all along taken a forward-looking approach. We believe that we need to take history as a mirror to guide the growth of our ties in the future. By stressing the importance of drawing the lessons from history, we do not mean to perpetuate hatred. Rather, we want to secure a better future for our relations. Since the normalization of diplomatic ties between China and Japan, the Japanese Government and leaders have on many occasions stated their position on the historical issue, admitted that Japan had committed aggression and expressed deep remorse and apology to the victimized countries. The Chinese Government and people appreciate the position they have taken. We sincerely hope that the Japanese side will act as it has stated and honor its commitment. Peace will bring benefit to China and Japan, while confrontation can only do harm to them. We should carry forward the friendship between the two peoples from generation to generation. This is in keeping with the historical trend and meets the desire of the two peoples, and it is also what Asia and the international community hope to see. After the war, Japan embarked on the path of peaceful development, and became a leading economic power and influential member in the international community. As a friendly neighbor of Japan, the Chinese people support the Japanese people in their continued pursuit of peaceful development. To enhance friendship and cooperation, we need to steer China-Japan relations on a correct course. This year marks the 35th anniversary of normalization of China-Japan diplomatic ties. Thanks to our joint efforts, great progress has been made in China-Japan relations. Two-way trade rose to US$207.3 billion in 2006 from US$1.1 billion in the year of normalization of diplomatic ties. There are now 233 pairs of sister cities, and over 4.8 million mutual visits were made in 2006. The growth of China-Japan friendly relations has brought great benefit to our peoples. China has received support and assistance from the Japanese Government and people in its reform, opening-up and modernization drive. This is something the Chinese people will never forget. In a new historical period, China and Japan both share increasing common interests and face major challenges. With this in mind, we the leaders of the two countries have reached agreement on building a strategic relationship of mutual benefit. Our goal is to follow the trend of the times and popular aspirations, lift China-Japan relations to a new historical stage, so that China and Japan will live together in peace, enjoy lasting friendship and carry out cooperation of mutual benefit for common development. To achieve this goal, it is important that we adhere to the following principles: First, increase mutual trust and honor commitment. An ancient Chinese sage said that "one should value credibility in relations with others" and that "one should honor commitment made to friends". There is also a saying in Japan that "one cannot establish oneself without credibility". Honoring commitment is particularly important in state-to-state relations. The Sino-Japanese Joint Statement and other two political documents between China and Japan settled the past China-Japan relations politically, legally and as a matter of reality and set the future direction of our relations. These three documents are the foundations of China-Japan relations. No matter what may happen, as long as the principles established in these three documents are strictly abided by, China-Japan relations will continue to grow smoothly. Here, I would like to talk about the Taiwan issue, because it represents China's core national interests. We will make every effort to seek a peaceful solution to the Taiwan issue, but we will never tolerate "Taiwan independence" and we firmly oppose "de jure Taiwan independence" and separatist activities in any other form pursued by the Taiwan authorities. It is hoped that Japan will appreciate the highly sensitive nature of the Taiwan issue, honor its commitment and handle this issue prudently. Second, seek common ground while shelving differences and uphold the larger interests of the two countries. It should be recognized that China and Japan do have differences over some specific interests and some issues. But these differences are of secondary importance compared with our common interests. We need to view our relations from a strategic and long-term perspective, take a responsible position towards history, and conduct dialogue and consultation with sincerity and trust. By doing so, we can find proper solutions to the issues in the bilateral relations. With regard to the issue of the East China Sea, our two countries should follow the principle of shelving differences and seeking joint development, and conduct active consultation so as to make substantive progress towards peaceful settlement of the differences and make the East China Sea a sea of peace, friendship and cooperation. Third, promote common development based on equality and mutual benefit. China and Japan have much to offer each other economically and enjoy great potential and broad prospect of cooperation. Thanks to years of mutual efforts, our two economies have become increasingly interdependent. China-Japan economic cooperation is a relationship of mutual benefit and win-win progress. The economic development of both countries presents opportunities rather than poses threats to each another. During my meeting with Prime Minister Shinzo Abe yesterday, we agreed to upgrade bilateral economic cooperation by launching China-Japan high level economic dialogue mechanism. To start with, the two countries should further strengthen cooperation in energy, environmental protection, banking, new and high technology, information and communication and protection of intellectual property rights. Fourth, strengthen exchanges with an eye on the future. Economic cooperation and cultural exchange are two pillars underpinning state-to-state relations. Economic cooperation aims at promoting mutual benefit and win-win progress, and cultural exchange opens hearts and minds of peoples. As leaders of the two countries, we have agreed to strengthen cultural exchanges and mutual visits of people. Young people are the future and hope of a country. They also represent the future and hope of China-Japan friendly relations. China is ready to work with Japan to ensure the smooth implementation of the large-scale exchange program between the young peoples of the two countries, and thus sow the seeds of hope to sustain friendship between our two peoples. Fifth, respond to challenges through close consultation. China and Japan are both important countries in Asia and the world, and their relations have great impact on Asia and the world. With this in mind, we should maintain close coordination and cooperation, make joint effort to uphold peace and stability in Northeast Asia and promote East Asia regional cooperation, thus contributing to the invigoration of Asia. Also with this in mind, we should jointly address global issues ranging from energy security, environmental protection, climate change, prevention and control of diseases to counter-terrorism, combating transnational crimes and the prevention of proliferation of weapons of massive destruction. China appreciates Japan's desire to play a bigger role in international affairs and is ready to strengthen dialogue and consultation with Japan on major regional and international issues, including the reform of the United Nations. Dear Members of the Diet, Great achievements have been made in China's economic and social development since the country embarked on the reform and opening-up program 29 years ago. However, with a huge population, weak foundation and imbalances in regional development, China remains a developing country. China has a long way to go before it can realize modernization. We in China now have two major tasks: Focusing on boosting social productive forces and promoting social fairness and justice. To accomplish these two tasks, we need to advance reform on two fronts: market-oriented economic reform and reform of the political system aimed at developing socialist democracy. In spite of the many bottleneck constraints on China's development in terms of resources, energy and the environment, we have over the years succeeded in embarking on a new path of development, namely, to put into practice a scientific thinking on development and build a resource-conserving and environment-friendly society with all-round, coordinated and sustainable social and economic development. China mainly relies on itself in pursuing development. As China develops, it will contribute its due share to the development of its neighbors and the world. We are pursuing scientific, harmonious and peaceful development and striving to turn China into a prosperous, democratic, culturally-advanced, harmonious and modernized country. We in China have a time-honored tradition of prizing virtue rather than force and valuing credibility and harmony. I can tell you in a responsible way that China will remain unchanged in its determination to pursue peace, development and cooperation, a path of peaceful development and the building of a harmonious world. Dear Members of the Diet, There is a stone lantern at the Jianzhen Memorial Hall in the Daming Temple of Yangzhou city. Back in 1980, it was presented and lit in person by Monk Morimoto Takayori from Japan's Toshodaiji Temple, where another stone lantern stands. With ever-burning lights, this pair of lanterns echo each other from afar and symbolize the bright future of the eternal friendship between the Chinese and Japanese peoples. As a Japanese saying goes, despite the wind howling, the mountain remains unmoved. Despite twists and turns and setbacks in China-Japan relations, the foundation of the friendship between the Chinese and Japanese peoples remains as unshakable as Mount Tai and the Fuji Mountain. To create a bright future for China-Japan relations requires the unremitting efforts of the two governments and peoples. Let us join hands and work together for the ever lasting China-Japan friendship, for a new strategic relationship of mutual benefit between our countries, and for peace and development in Asia and the world. Thank you. |